私は、この物語には
「裏返しの理想」のかたちがあったように思います。簡単に言えば、理想を叶えるために自らが嘘を吐き、その
「理想を演じる」かたちが常にあったのではないかと思うのです。
まず、椿姫の章について。京介は、椿姫の家族に家を立ち退いてもらうために、自分に好意を寄せる椿姫を利用していました。そして京介は自分の身分を椿姫にさらした上で、椿姫にこう問いました。
「ベタなことだ。家族とおれと、どっちが大事だ?」
京介を取っておとなしく家族全員家を立ち退いてもらうか、もしくは家族を取って京介と別れるか。つまり、京介を選べば家族を裏切ることになり、家族を選べば愛する京介を裏切ることになるのです。この二重拘束的状況で2択を迫られた椿姫。椿姫は結論を出すと、その想いを日記に書き綴りました。
『おかえりなさい、京介くん。
実はいま、港近くのおばあちゃんのところにみんなで行ってます。夜になると怖い人たちが来るので、みんなに不安をかけさせないようにと、お父さんが言い出しました。
今、お父さんと、このお家を出て行こうという話をしています。
やっぱり、貧乏はよくないんです。お金がなにより大事なんだと、お父さんに話しました。
わたしは、京介くんの言うようないい子では決してありません。
本当は、いいお洋服を着て、いいレストランでお食事をして、他のみんなと同じように遊んでいたいんです。そのためにも、この家を出て立ち退き料をもらいたいと思っています。お小遣いも増えそうだしね。そういうわたしが、もし気に入らないというのなら、京介くんとお別れするのも、仕方がないと思っています。
まだ、お父さんもお母さんもこのおうちを出て行くつもりはないようです。けれど、近いうちに、必ず折れてくれると思います。わたしのわがままをを受け入れてくれるだろうことは、予想できます。
とにかく、安心してください。わたしは、家族から信頼されていますから。
京介くん、好きです。しつこいようだけど、いっしょに、暮らそう?みんなで、楽しく、暮らそう?うちのみんなは、京介くんのことが、大好きです。待ってます。みんなで、待ってます。
椿姫でした○』
誰がどう見ても、ここに記されているのは椿姫の本意ではありませんでした。椿姫は、京介を救うために下手な嘘を吐き、愛する
浅井京介の理想を実現するために悪女を演じ続けたのですね。しかし、逆に京介はその椿姫の純粋なまでの京介への想いを目の当たりにして、自らの心の歪みに気付くことができたのです。
いやぁ、しかし京介のためを思って妄信的に変わっていってしまう椿姫は見るに耐えるものがありましたね…。やはり、椿姫は椿姫のままで良いのです。
他には、花音は金崎郁子、水羽はユキのそれぞれの理想を演じていました。この二人については省略しますが、この
「理想の演出」が顕著に現れ、また涙を誘う展開はスタッフロール後の最終章に待っていました。ここでの主人公は、誰ならぬ
鮫島京介でした。
死んだと思われていた“魔王”こと鮫島恭平を追って公園で銃をつきつけるハル。京介は、ハルが恭平を銃で撃つ前に、自ら、兄・恭平を射殺しました。そして殺人犯として捕らえられた京介は取調べに応じ、そこで驚愕の事実を耳にするのです。ハルにも、殺人未遂の容疑が掛けられるかもしれない、と。そこで、京介は未来の明るいヴァイオリニストであるハルを庇うために嘘を吐き、全ての罪を自分に着せる供述を始めるのでした。
「だから、おれはあの女をけしかけたわけです。あの女は、思惑どおり、恭平を追いかけて行きました。殴るなりなんなり殺してくれればよかったものを、怖気づいたのか、その場で気絶しやがったんです」
「多少頭は回りますが、恋愛に関しては初めてでしてね、ヤツは……。おれにとっては金が全てなんですよ。あんな金にならない女は、殺人に利用するくらいしか使い道がなかった」
これこそ、本編中での、京介の、最大限の「理想の演出」ではなかったでしょうか。ハルに罪を着せないために警察を欺き、己に全ての罪を背負わせようと必死に試みているこの一部始終こそが、京介が
自らの理想のかたちを演じきった瞬間であったのです。この最大の見せ場でもあるシーンが本編のラストに描かれているこの構成こそが、さすがるーずぼーい氏と言ったところでしょうね。
実際、「嘘による理想の実現」という言葉はあまり聞こえが良くないですが、その手段によって新たに気付ける結果があるのだと思います。京介が自らの心の歪みに気付けたように、そして、京介が自らが守るべき愛する者の存在に気付けたように、この理想の実現における
逆転劇は新しい裏側を覗かせ、気付かせてくれるのでしょう。
ところで、京介とハルの娘の名前は一体なんなのでしょうかね。たぶん、きっと、名前のどこかに「春」の一文字が刻まれているような気がします…。