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2012.05.14
カテゴリ:《 廃墟・廃村 》
三重県 白石工業桑名工場 (白石鉱山)
2012.05.06
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心霊スポット探訪記 第十八話 和歌山市 「淡嶋神社」
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京都 蹴上インクラインの桜
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桜ノ宮〜造幣局 大川沿いの桜並木
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岩手県 田老鉱山講堂
2012.03.11
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しあわせ回廊 なら瑠璃絵 〜春日大社篇〜
2012.02.09
カテゴリ:《 廃墟・廃村 》
山中に眠る巨大神殿 岩手県 「田老鉱山 選鉱場」
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2012.05.14 カテゴリ: 廃墟・廃村
三重県 白石工業桑名工場 (白石鉱山)

三重県最北部の山間地、滋賀県と岐阜県の両県境間近にあるのが、今回訪ねた通称「白石鉱山」と呼ばれる巨大な廃墟です。正式名称は白石工業桑名工場、間違われやすいようですが、ここは鉱山ではなくあくまで石灰製品の生産を担っていた工場なのだそうです。おそらく採掘を行っていなかったということなのでしょうが、このような巨大なプラントが山中の切り立った崖に構えているだけでも相当な迫力があります。

ここは一昨年あたりに、一部施設が放火と思われる火災に遭ったそうです。また近くには有名な湧き水なのか絶えず人がやってきて水を汲んでいく姿も見えて、また地形柄、声が響きやすいので人の気配がまったく失われた空間という感覚はありませんでした。探索中にも5名ほどの方に出逢い、ここには人がいるんだなと余計な安心感を持たされます。

痛々しいまでにオンボロの身体をしたターレットトラックが、まるで出迎えに来てくれたかのように建物の入口に待っていました。こいつを越えて奥へと進むと、そこには見たこともない美しい冒険が始まる──、同時に最後の忠告を言い渡す番人としてこの境界に立っている、そんな使命を追っているように見えました。



その全貌が掴めないほどに広大で複雑な地形のうえに構築されたフィールドに立ち、改めて自分がとんでもないところに迷い込んだことを思い知らされます。目に見えている場所に行く為にはいくつもの段階を経て行かなければならず、そこにたどり着けば、また対面したことのない景色や光景が広がっているのです。
この廃墟のシンボル的な存在になっている四連のサイロも、近くまで行って見上げると圧巻です。ここで、施設全体のおおよそ中腹あたり。反対側を振り返ると、その眼下には十何棟も並ぶ赤色屋根の木製石灰貯蔵庫が飛び込んできます。生命を謳歌し生い茂る新緑が一面に広がり、そのなかにぽつぽつと浮かぶ小さな赤い舟は見事な絵のようです。



石灰製品を生産していた工場、この廃墟の最大の見どころは製品を保管していた貯蔵庫にあります。一部の人からは“白亜の迷宮”と呼ばれているその部屋には、入口がなく、地面際の小窓のようなところからのみ立ち入ることができます。
腰を屈めて進んでいくと、天上から注ぐ光に照らされ、石灰により漂白された真四角の部屋に行き当たります。白く染め上げられた世界、ここは聖なる空間であるかのように隔離され、または分断され、異としての空間を保っています。だれが作りあげたわけでもない、唯、真っ白な世界があるのです。

光がこの部屋で幾たびの屈折を繰り返し、やがて空間を満たして光の溜まり場となる。
この白亜の空間が、乱反射した光が、すべて自分に還ってくる。
すると、自分が、もはやこの空間の一部として取り込まれているのではないか、とさえ感じるのです。

(Finepix S5 Pro + AF-S DX NIKKOR 16-85mm)
2012.05.06 カテゴリ: 心霊スポット探訪記
心霊スポット探訪記 第十八話 和歌山市 「淡嶋神社」

和歌山市から南海加太線に乗り、磯ノ浦で絶景の水平線と出会うと、その先はすぐ終着の加太駅となります。そこから歩いて二十分、友ヶ島へと行く船乗り場を通り過ぎると、朱色の大きな鳥居が見えてきます。海に面した小さな丘にある、加太淡嶋神社。人形供養の聖地であり、全国的に名が知れ渡る心霊スポットでもあります。

全国から寄せられた人形の数は二万体にも及ぶと言われています。燃えるごみに捨てるのには忍びない人形たちが最後の温情として全国各地からここに集められているようです。境内の至るところに整理して並べられている人形たちは、のちに三月三日の流し雛で海に流されて供養されるのです。
持ち主の愛情が込められた人形には、それに応えるために魂が宿るとされています。だからこそ捨て難いものであるし、捨てられた人形にも憎しみの感情が生まれると考えられてきました。そういった捨てられた人形が集まるこの神社は、曰くつきの心霊スポットとしてたびたびメディアに取り上げることもありました。かつては髪の伸びる人形がいるとも噂され、神主がその人形を紹介していたのを覚えています。(「USO!?ジャパン」TBS系列 01年-03年)

ここはどれほどまでに人間の無念と人形の怨念が渦巻いている場所なのだろうかと、その体感を求めて訪ねてみました。連休中とあってか、正面の鳥居付近には香ばしい匂いを誘う露店や物産販売所などが賑わっています。知ってか知らずか、境内にいる参拝客からも不気味がる声や騒ぎ立てる声、それらを諭す声などがざわめき合って聞こえてきます。森の中にひっそりと佇んで、人の喧騒からは隔絶した場所にあるという私のイメージは、このときすでに失われていました。
全国に千社あるといわれる淡嶋神社の本社として由緒ある神社で、主祭神は少彦名命。大国主神に同行して葦原中国(現在でいう日本の国土)の国造りを行った神様で、蛾(ひむし)の皮を纏った神様といわれています。その小さな姿は、もしかしたら人形のようにも見えたのかもしれません。少彦名命を祀るこの神社が人形供養の聖地として全国に知られたのも、こういったところに縁があるのでしょうね。

一体々々に吹き込まれた命が、ここに行きつき、成仏されていく。魂の彷徨をイメージさせる場所だからこそ、なかば条件反射的に暗い物語が生まれて心霊談となって一人歩きしていき、実体験に基づかない架空の心霊スポットがコミュニティを介してでっちあげられる。これは人間の想像力のたまものでしかありません。
実際に訪れた淡嶋神社は、人の賑わいもあって、無病息災、安産祈願などでむしろ負のイメージを感じさせない明るい神社でした。こちらを見つめる多数の日本人形たちも、どこか参拝者を見守っているようなあたたかな眼差しを向けてくれているようにも感じられます。(ちなみに淡嶋神社は人形やぬいぐるみ等の不法投棄・持ち去りを防ぐために夜9時に閉鎖、立ち入り禁止になります)

(FUJIFILM X10)
2012.04.16 カテゴリ: 季節と風景
京都 蹴上インクラインの桜

いまから100年以上前、当時京都府知事だった北垣国道によって、琵琶湖の水を京都に引き込んで人びとの暮らしを向上させようとする一大計画が実行に移されました。この水路は琵琶湖疏水と呼ばれ、京都の産業振興に大いに寄与してきたといわれています。
交易のための舟運のほか、農業のかん害、蹴上発電所の水力発電など、京都府民の生活はこの水路によって根本から支えられていたのです。

ただ、琵琶湖疏水を通す際、地形上の大きな問題が発生していたのです。山科から蹴上に出るところに、36mという急激な土地の落差があったのです。
この問題をどう対処しようかというところで発案されたのが、ケーブルカーの要領で舟を台車に乗せて運搬するインクライン(傾斜鉄道)という方法でした。蹴上インクラインは、36mの高低差に対して約550mほどのレールを引いて、水力発電で得た電力を動力にして明治24年から昭和23年までの57年間に渡り動き続けていました。


現在、蹴上インクラインの跡地は桜の名所として多くの観光客で賑わっています。老若男女、いろいろな方がたが桜の花びらを見上げながら、この廃線跡の桜並木を楽しそうに歩いています。
かつて水運の交通で賑わった場所が、いまも出逢いと別れを繰り返す交わりの場として揺動しています。桜の木の下には人が集まり、交差する。ここでは、多くの出逢いと別れが、いまだに繰り返されているのです。

(Finepix S5 Pro + AT-X 50-135mm F2.8)
2012.04.09 カテゴリ: 季節と風景
桜ノ宮〜造幣局 大川沿いの桜並木

4月8日、朝から雲ひとつない晴天に恵まれ、こんなチャンス滅多にないぞということで桜を見に行ってきました。大阪の桜の名所を調べてみるも開花状況と合わせてうまく情報が集められず、さてどうしたものかと迷ったところで、環状線桜ノ宮駅近くの川沿いにちょうど見ごろの桜並木があったことを思い出し、散歩気分で桜ノ宮駅で下車。
桜ノ宮という名に恥じぬ、綺麗な桜並木でした。源八橋から大阪城方面を望むと、桜色に敷き詰められた絨毯が川沿いに広がっているのがよくわかります。大川沿いに休日の真昼間からお酒を交わして陽気にはしゃぐ大人たちの声がこだまして、ここは楽園かと思うような幸せな世界があちこちで賑わっていました。


先週電車のなかから見たときにはまったく咲く素振りも見えなかった桜ですが、この一週間で大分花開いてきたようです。8日現在で7分咲きくらいでしょうか、時期を見計らって集中した花見客で桜ノ宮駅構内から周辺にかけては大混雑でした。


大阪で迎える春は今年が初めてですが、この大都市の真ん中に、これほどまでに桜が綺麗で落ち着いた時間を過ごせる場所があるとは驚きでした。
仕事に追われせわしい日々を送る社会人が、休日のせめてもの癒しとして集う桜の木の下。ここがいわばアジール的な場所として機能し、桜の向こう側に見えるオフィス街に向かって日々の愚痴を垂れ合うのも、分からなくもないですね。

(Finepix S5 Pro + AT-X 50-135mm F2.8)
2012.03.26 カテゴリ: 廃墟・廃村
岩手県 田老鉱山講堂

田老鉱山はかつて山中に街を抱えた巨大な鉱山都市だったそうです。鉱山夫は仕事に出掛け、子供たちは集落の学校に通って勉学に勤しみ、母親は買い物に洗濯にと家事に追われていたことでしょう。田老の漁港から揚がった新鮮な魚が集落に運ばれてきて、籠を持って群がる婦人たちの光景が浮かんできます。
ここは鉱山敷地内にある講堂に使われていた建物です。外観、内部は西欧の田舎にある教会の雰囲気を思わせ、主を失った建物はどことなく不気味な空気を噴出しているように感じられます。

中心は小ぢんまりとしながらも開放的なホールのようになっています。ステージも用意されており、総会や会合などにも使われていたのでしょう。「てぶくろマーチ」と演目の書かれた紙からは、地域の子供たちか、または老人たちかが発表会を開いて楽しんでいた様子も浮かんできます。


二階にあがる階段には「映写室」の文字が汚れに擦れて見えます。闇に溶け込むように階段を上がっていき、部屋に入ると目の前はついぞ真っ暗に。手持ちのLEDライトを点灯すると、そこにはいかにも年代物の貫録を湛える映写機がありました。どうやらこの講堂は映画を観ることもできたのですね。


ときには癒しの場や娯楽の場としても使われていたであろう講堂には、鉱山の歴史のほかにも、従業員やその家族をはじめとする多くの人の思い出が詰まっているのだと思います。目の前の景色が、過去の光景に重なって見えてくる、アンバー色を伴って世界が時間を遡っていくような感覚が呼び覚まされる場所でした。

(Finepix S5 Pro + AF-S DX NIKKOR 16-85mm)
2012.03.11 カテゴリ: 雑記
追悼3.11 東日本大震災をこえて
あの日、同じ故郷を愛する多くの人びとが、一瞬のうちに津波に飲み込まれて亡くなってしまいました。それはとても悲しいことで、深い追悼の想いにせまられます。
いま考えても想像を絶する災厄でした。突然押し寄せてくる濁流の波に多くの人びとが逃げ惑い、暮らしと生命が一瞬にして奪われました。そしてその光景を目前に高台から声も出せずに唖然と見つめる地元の方がたを映した映像は、テレビを前にした私たちに大きな衝撃をもたらしました。
早くもあれから四季は一巡しました。はたして何を想えばよいのでしょうか。季節は否応なしにあの日の出来事を呼び覚まします。確か、あの頃まだ仙台では梅が咲いていなかったはずです。電気、ガス、水道が止まって物流も途絶え、近くのお寺に生活水となる井戸水を汲みに行ったり、朝早くに自転車を飛ばしてスーパーの列に並んで限られた食料を買いに行ったりとする生活のなかで、家の前のお寺にぽつぽつと梅の花が咲きだしたのを見て喜んだのを覚えています。私にとっては希望の一輪でした。いつになったら花が開くかと毎日前を通るたびに見ていたもので、被災生活のなかで開いた花のその変わりない美しさに、心を癒されました。
大きな悲しみをひとつ乗り越えたいまだからこそ、あらためて言わなければならないと思います。その悲しみ、苦しみを二度と体験することがないように、その想いがふたたび途絶えないように、この災害は決して忘れてはなりません。忘れることで得られる幸せがあるとしても、その体験の忘却はそれ以前の記憶すらをも傷つけてしまいます。果たしてそれが本当に幸せだと言えるのか。いずれ突きつけられる真実は決してそれを赦しはしないでしょう。
だから、私たちが背負ったこの深い傷は、私たちで遺していかなければならないのではないでしょうか。
愛する人の声を、子どもたちの声を、悲しみの谺を、忘却の水底に閉じ込めてしまってはなりません。
いま考えても想像を絶する災厄でした。突然押し寄せてくる濁流の波に多くの人びとが逃げ惑い、暮らしと生命が一瞬にして奪われました。そしてその光景を目前に高台から声も出せずに唖然と見つめる地元の方がたを映した映像は、テレビを前にした私たちに大きな衝撃をもたらしました。
早くもあれから四季は一巡しました。はたして何を想えばよいのでしょうか。季節は否応なしにあの日の出来事を呼び覚まします。確か、あの頃まだ仙台では梅が咲いていなかったはずです。電気、ガス、水道が止まって物流も途絶え、近くのお寺に生活水となる井戸水を汲みに行ったり、朝早くに自転車を飛ばしてスーパーの列に並んで限られた食料を買いに行ったりとする生活のなかで、家の前のお寺にぽつぽつと梅の花が咲きだしたのを見て喜んだのを覚えています。私にとっては希望の一輪でした。いつになったら花が開くかと毎日前を通るたびに見ていたもので、被災生活のなかで開いた花のその変わりない美しさに、心を癒されました。
大きな悲しみをひとつ乗り越えたいまだからこそ、あらためて言わなければならないと思います。その悲しみ、苦しみを二度と体験することがないように、その想いがふたたび途絶えないように、この災害は決して忘れてはなりません。忘れることで得られる幸せがあるとしても、その体験の忘却はそれ以前の記憶すらをも傷つけてしまいます。果たしてそれが本当に幸せだと言えるのか。いずれ突きつけられる真実は決してそれを赦しはしないでしょう。
だから、私たちが背負ったこの深い傷は、私たちで遺していかなければならないのではないでしょうか。
愛する人の声を、子どもたちの声を、悲しみの谺を、忘却の水底に閉じ込めてしまってはなりません。
2012.03.05 カテゴリ: 季節と風景
春の萌しとともに 大阪城公園梅林

3月3日は大阪でも最高気温が14度に達する気持ちのいい一日でした。先週が悪天続きだったために余計に気分も麗らかになり、こんな日には梅も花開いているだろうと大阪城公園を散歩してきました。
いつも通りの厚着で歩いていると、ほんのり汗ばんでくる陽気です。園内の梅はこの陽を待ち望んでいたかのように綺麗に咲き誇り、色鮮やかに染め上げています。冬から春に移っていくなかで、休息していた生命がふたたび色気づいて、いよいよ新緑の季節を迎えるのです。

ハチもせっせと働いて、受粉のお手伝いをしています。ハチの視点から、この花に溢れた世界はどのように映っているのでしょうか。童話の世界に出てきそうな心地のよいものなのか、それとも環境風景としてさんざん見飽きているのか…。

大阪城公園梅林には本数にして約1,270本の梅が植えられているそうです。もちろん品種も数えきれないほどたくさんあって、花の色やかたちに直接その違いが見られるので観賞も楽しめます。他にも木の根本に水仙が植わっていたり、常連(?)のオウムと触れ合えたり、まだ私も未体験ですが天守閣に登ったりと見どころはたくさんあると思います。

まだまだこれから開花を迎える梅もありますので、大阪城を仰ぎ見るこの場所で、来る春をもう少しだけ待ちながら、目先の梅の観賞を楽しむのもいいでしょうね。

(Finepix S5 Pro + AF-S NIKKOR 50mm f/1.8G)
2012.02.28 カテゴリ: 廃墟・廃村
岩手県 田老鉱山事務所跡 (旧明星大学資料館)

このような特殊で辺鄙な場所なのに、まだ新しい雪にはだれかの足跡が刻まれていた。
まず目に留まるのが、鉄骨とスレートの屋根を纏っただけの巨大な選鉱場跡。その次には、際立って背の高い、一見合宿施設のようにも見える鉄筋コンクリート造の建物。おそらくは後に建設されたものか。
一階正面に玄関があり、屋外から山の斜面に沿って坂道を上っていくと5階部分の裏口にも窓が開かれていた。事前情報で確かめていた鉱山事務所の跡で、のちに明星大学の宇宙線観測施設の資料館として使用された物件だろうか。この建物を前にして、正面玄関から入って行かなかったのは、ドアの開く気配を感じなかったか、堂々と気配を明らかにすることに躊躇いがあったからなのか、はたまたなにかの気配に物怖じしてしまったからなのか。

「地質鉱床関係展示室」「宇宙線見学室」の文字が薄暗い場所で浮かび上がっている。内部は予想以上に暗く、荒れ、錆びついている。ここまで荒れてゆくのに、自然以外の何ものの力が加わっているのだろうか。



ふと気になった机の引き出しを開けると、グラビア雑誌と一緒に昭和43年の日誌が出てきた。



階下へと降りていくたびに、その暗闇はより深みを増していく。時間の停滞が光の風化を招いているように、世界は凍りついた砂時計のように止まっている。

闇の底から、重低音で谺する呼び声に耳をすませてみる。
それは廃墟からの声なのか、この場所に記憶を置き去りにした男たちの声なのか。呼び声は頭のなかに響いてくる。
差し込む光に浄化作用があるならば、時間を巻き戻す作用があるのならば。
ここが光と闇が衝突する深淵なのか、と。

(Finepix S5 Pro + AF-S DX NIKKOR 16-85mm)
2012.02.20 カテゴリ: イベント・お祭り
しあわせ回廊 なら瑠璃絵 〜春日大社篇〜

2月8日から14日まで開催されていた「しあわせ回廊 なら瑠璃絵」を観てきました。会場となったのは興福寺、春日大社、浮雲園地、東大寺などの奈良公園一帯。これら三社寺を、古の記憶に更ける奈良の瑠璃色の夜に光の道と成してつなぎ、瑠璃絵の世界を浮かび上がらせる、というのです。

春日大社は全国に三千社ある春日神社の総本社。近鉄奈良駅から徒歩10分程度の場所に、深い神聖な杜が続いています。参道の足元はさまざまな色で彩られ、太古の空気を含む聖なる闇を現代的な灯りが燈しています。
この日はちょうど小雨がいつまでも降っている一日でした。会場に行くのも躊躇われるほどに、陰鬱な気分になってくる一日でした。それでも5時ごろに部屋を出た私は傘を手に、肩にはバッグを掛け、その足は水を撥ねながら近鉄奈良線のホームへと向かっていたのです。

雨の降りしきる、人があまり外に出たがらないそんな日だからこそ、出逢える景色はあるはずです。雨滴はきめ細かに光を反射し、夜霧は神社の境内を幻想的に映します。雨粒が傘に当たる音も、人の声が雨音に吸い込まれていく儚い感じも、すべて情緒的に感じられてきます。
参道に突如現れたミラーボーラーズという名の展示。木々の枝から吊るされたミラーボールが雨に打たれ、風に揺られるたびに照射されている光を複雑に反射して、その光は線となって降り注ぎます。まるで宇宙空間のようなこの場所に、不可思議な世界が創造されていました。


舞台は、参道から本殿の回廊へと移っていきます。灯篭の仄かな燈火に浮かび上がる回廊はかつての風雅な世界を取り戻しているかのよう。この一つひとつの灯りが揺らめき、踊り、燈火はまるで魂を宿しているみたいです。
なんだか久々に心からほっと、気分が安らぐような温かさを感じるひとときでした。理解では表わせない、感覚としての安心感、安堵感。その後、会場内といろいろと見て回り、気が付けば点灯が終わる8時半まで過ごしていました。

ここでしか、このときでしか味わえない時間の流れが、あったような気がします。春日大社の創建時代、平城京からの歴史と時間の蓄積が境内を包む空気一体となってこの場所に残っていて、それと現代人の出逢いというものは、やはりそこはかとない感覚が生まれても不思議ではないのだと思うのです。
それを思うと、JR東海のCMにあるキャッチフレーズの秀逸さに驚かされます。この言葉を借りて、結びとしましょうか。
「いま、ふたたびの奈良へ。」
私自身も、奈良が面白く感じてきました。

Finepix S5 Pro + AT-X M35 PRO DX 35mm F2.8
2012.02.09 カテゴリ: 廃墟・廃村
山中に眠る巨大神殿 岩手県 「田老鉱山 選鉱場」

東北三大鉱山とはだれが言いはじめたのか分かりませんが、今もなお、それらは東北の地図上に静かなる三つの点を落としています。秋田県の尾去沢鉱山、岩手県八幡平市の松尾鉱山、そして今回訪ねた、岩手県宮古市の田老鉱山です。田老鉱山は大正8年に操業がはじまり、昭和46年に閉山するまで銅の原料となる硫化鉱を産出し続けてきました。

選鉱場内に吹き込んだうっすらと白む雪を踏みしめながら入っていくと、そこには肉が削ぎ落とされた大きな抜け殻が横たわっていました。骨格をむき出しにした骸が、痛々しくも刺すような冷たい風に曝され、ときおり鳴り響く物音は背後からなにか悲しみを訴えかけてきているようにも聞こえてきます。
あまりにも広い空間が、何十年と支えてきた老朽した骨格に守られ、静かに、ただ静かに、静謐な世界を包み込んでいます。すきまだらけで継ぎ接ぎに守られた世界でも、どこか大きな包容力が感じられます。


最盛期には二千人近い人が働いていた田老鉱山は、これらの柱や鉄骨、基礎部分がすべての作業、そして生命を支えていました。山の斜面に築かれ、その傾斜に沿って階段状の構造をもつ選鉱場の巨大な施設を支えるのに、これほどまでに頑強な構造で造られていたのです。



ここに来て、それまでどんよりと垂れ込めていた曇りの空が晴れ間を覗かせてくれました。光の濃度で陰と明るみを映していた世界に暖色系の鮮やかな色が浮かび上がり、かつての色彩が呼び戻されていきます。
高みに登っていくに連れて、いままで自分が歩いていた場所の眺望図が見えてきます。上から覗き見る景色は今まで歩いてきた世界を見事に圧縮して映し、見た目も、空気感も異なって感じられ、また新たな舞台を立ち上がらせて見せてくれます。


石柱が整然と立ち並び、圧倒的な高さを誇るその姿、格子状の骨組みを露にして、無防備にも荷重に耐え続けてきたその雄姿は、まさに古代からの巨大神殿を連想させます。
空にまで手が届きそうな高みに触れ、陽を掴み、足元では鉄製の階段が乾いた音で鳴り。かつて陽の射すことのなかっただろう場所でも、ふと、この鉄骨階段の音はむかしと変わらずに、同じ音を発しながら、人の訪れに応えてくれているのかな、と思ってみたり。


これは、岩手の山中にある廃鉱山の、とある冬の日の風景。
そんな一瞬の出来事の、記録詩。

(Finepix S5 Pro AF-S DX NIKKOR 16-85mm f/3.5-5.6G ED VR)


